トスカーナの贋作


いやー染みたね。胸の奥深くに突き刺さる映画だった。
一緒にいることのどうしようもなさ、一緒にいたいことのどうしようもなさ、いないことの、どうしようもなさ。

キアロスタミの映画はいつも交渉に継ぐ交渉。世界はどこまでいっても小さな小さなdiscordと諍いの嵐なんだと教えてくれる。
イタリア、南トスカーナ地方で、講演のためにやってきた英国の作家ジェームズ(ウィリアム・シメル)と、ギャラリーを経営しているフランス人女性(ビノシュ)の当て所もない旅、ドライブ。カフェの女主人(イタリアのmamma!!)に夫婦と間違えられたことをキッカケに彼らは“夫婦ごっこ”(それも『イタリア旅行』のごっこのような)をはじめる。ビノシュの役は子持ちの、美しき諍い女。私は彼女がこの喫茶店で話の途中、不意にみせたひとすじの涙に、何とも言い表しがたい感情を汲み取ってしまった。
ジェームズは本物と贋作についての著作を書き始めたきっかけをおぼろげに話しだす。そのストーリーに出てくる、過去にイタリアに来た際に偶然みかけた子供と母親、というのは どうやらビノシュとその息子のことらしい。このことが段々と分かってきたときにビノシュの流した涙は、ちょっと複雑だ。厭世・倦怠の感、ある種のネグレクト、醜く、みすぼらしい、むごたらしい思い、寂しさ、疲労、、、そんなこんなな思いを抱えながら歩いていた姿を彼に目撃されていたこと。その羞恥…。映画が終わった後になって、このように幾らか言葉を並べ立てることは可能だけれど、実際に私が映画を観ている最中には、ちょうどジェームズと同じように、言葉を失ってしまった。
おそらくは彼女がジェームズの前で取り繕ってきたメッキが脆くも崩れ去ったということも確かなのだろう。“夫婦ごっこ”としてはますます深部へと互いに入り込んでゆくキッカケでもあるのだけれど、ここで忘れてはならないのは、それでも一方でやはり“ごっこ”だということ。彼女は女としてもジェームズとの初めての関係を楽しんでいたかったのだ。この設定は実にうまい。初めて出会った頃のように、というのと、本当に初めてのボーイ・ミーツ・ガールは、別モノ。…と言いたいところだが、映画は、何が「本当に」で、何がそもそものオリジナルなのか、その区別に意味はあるのか、を問うてくる。たしかに。出会うということにおいては、回数もへったくれもないのかも知れない。だからこれは“ごっこ”じゃなくても言えることなんだろう。単純に。妻や母が、女として、日常的に喜んだり傷ついたりすること。
彼女が涙を流すとき、ここは(たしか)彼女だけを写した画面。ジェームスの声(音声)で、「ある親子の物語」が語られる。キアロスタミの前作『シーリーン』と同じ構図。しかし今回は映画や作品と向き合っているのではなく、人と向き合っている。切り返しのジェームズ。彼はここで一瞬、立ち止まる。彼の配慮。この沈黙が、話しかけることをやめないキアロスタミの映画の中であるだけに、なおさら美しい。またここへ来て前半部の息子とビノシュのやり取りが見事に効いてくる。最初だけに登場する息子とビノシュの会話は非常に多くを物語っていた。ジェームズがかつて見たという親子も、すぐにこの子だなということが、わかる。そして彼女は何を取り繕おうとしたんだっけ。そう、彼女は息子がいることを隠したかったんじゃなくて、息子に縛られて常にイライラしている自分が彼の前で露呈されることを避けたかったのだ。イギリス人作家ジェームズの指摘や見解は、常に鋭い、正しい。それだけに、彼女は、うまくいかなくて、ツラい。私はここで、同情ではなくひとりの男性として、ビノシュのように涙を流す女性を素敵だと思う。『おかあさん』の田中絹代の涙と『浮雲』の高峰秀子の涙のあいだにある涙。
是非ともスクリーンで見てきてほしい。ユーロスペースではレイトだけど来月中旬までアンコール上映をしている。涙をふいた彼女が後半、化粧室で鏡を前に向き合い(ちょうどスクリーンを隔てて私たちと向き合う)、再び自分を取り繕うとき、イタリア旅行の“ごっこ”は またも色めき立つ。ジェ、ジェ、ジェームズ。そして恋はシンデレラ。


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・『シーリーン』と『トスカーナの贋作』は、個人的にセット。作品と向き合うこと。人と向き合うこと。
・シンデレラ→http://www.youtube.com/watch?v=hm8Bo_iwudc 
やっぱりカミカミの男といえば大好きなこの映画を思い出す→http://www.youtube.com/watch?v=Zixdh2xId0c&feature=related 嘘から出たまこと 『モーガンズ・クリークの奇跡』
・OUTSIDE IN TOKYO のキアロスタミ・インタビュー→http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/abbaskiarostami/02.html 木の話が面白いのと、その話でキアロスタミが「それはあなたはすごく良く見てくれて、道がぐにゃぐにゃになる所で複雑な話が始まるというのは、あなたの想像を尊重します。」と素晴らしい受け答えをしている。彼の人柄は、野上照代さんの『蜥蜴の尻っぽ』(第二部:エッセイ集 『明日へのチケット』のためにキアロスタミの家を訪ねた)を読むと、よくわかる。どうやらもうこの頃には次ビノシュ主演のものでイタリアで、と決めていたらしい。この本で紹介されているキアロスタミとロベルト&イザベラ・ロッセリーニの爆笑エピソードも面白い。それにしても当人の意識しないところで、キアロスタミはつくづくロッセリーニと縁のある人なんだね。