Two Lovers


ジェームズ・グレイの日本未公開作『Two Lovers』をDVDで再見。稀代のトリッキー役者ホアキンはここへ来てその神髄を究める。こっそり玄関から出て行く際の彼のコートの取り方、背中越しに片手でフックから外してもう一方の手でキャッチ、それをスムーズかつ自然な流れの中でやってしまえるということに唸る。彼の引退宣言なんてマイケル・ジョーダンのそれと一緒で、いつ撤回されるかわかったもんじゃない。信じちゃいないよ。
この映画、始まり方がムチャクチャ格好いい。そして美しい。≪『ミレニアム・マンボ』の冒頭スー・チーの背中の誘い≫、と書いてホアキンの背中を思い浮かべて吹いた。レナード(ホアキン・フェニックス)自身はいたってシリアスな決意で水に飛び込むのだけど、救助された彼はびっくりするほど情けなくて笑ってしまう。ずぶ濡れのドライクリーニング屋さんだなんて。…とここで自分のホアキンに対する視線が、いつの間にか冒頭に(のみ)出てくる野次馬のささやいていることと同調していることに気づく。完璧な導入部だと思う。この後、映画は各場面が誰かの声やラジオ、着信などの音によって次々と切れ目なく繋がれてゆく。まるで曲と曲のあいだにいっさい切れ目のない一つのアルバムのように。クラブの外でホアキンが30分も待ってたなんて「え、いつ?」というくらいに、待つことは周到に省略されている。恋に昼も夜もないと言わんばかりの勢いで、観客はホアキンの恋の宙づり状態を見守るとともに身をもって体感していくことにもなる。この、ホアキン目線であるときと、何かを見ているホアキン(あるいはイザベラ・ロッセリーニ)をキャメラが捉えているときの切り替え連鎖が実に巧妙だ。面白い、というよりチャーミングなのは、ホアキングウィネス・パルトローとの関係では、ホアキンはいつも窃視している側なのに、何かキッカケを発見したり紡いだりしてくれるのはいつもグウィネスなこと。
どこまでも好対照なグウィネス・パルトローとヴァネッサ・ショウ、二人の人柄、家柄はホアキンとの写真や本、映画DVDを介して為される会話にも顕著だ。皮肉にも、グウィネスとの突飛な出会いや不意に舞い込む予定は、一方で裏地を縫うようにヴァネッサとの確約されたアポントメントと重なることによってより緊張の度合いを高めることとなる。痛烈に鳴り響く、エリーゼのために……。 ホアキンはヴァネッサに連絡するときは家電しか使わず、グウィネスとはケータイで、と完全にアイテムを使い分けている。二人をつなぐ糸がmovable/mobileであるのとないのとでは大きく違う。現代のニューヨーカーがケータイでちゃんと連絡を取れないとどうなるかってのは『ブロークン・イングリッシュ』が痛いほど教えてくれるんだけど、「やっぱりデートはお出かけしてナンボでしょ?」ってのが映画の恋の魔法のかけ方ならば、移動の一切を省かれているヴァネッサと、完全なデートとまでは行かないながらもホアキンと一緒に動いてまわるグウィネスに対する我々の熱の入れようも違ってくるというものだ。ジョブスなシルエットの、ヤッピーがそのまま昇りつめて年取ったようなグウィネスの彼氏(エリアス・コティーズ)との三者面談のときにだって、スーツで決めて出かけちゃうホアキンには軽やかな音楽が流れる。実際、『裏窓』的*1な彼らの位置関係によるこの映画のひとつの快楽も、お出かけありきのものだと思うのだ。彼らを耳もとでつなぐ契機となる場所が、地下鉄*2での移動に際してなのも興味深い。
最終的にレナードはまたしてもの“I have to go”をくらうことになる。冒頭シーンの反復へと向かうかに見えた彼をギリギリのところで繋ぎ止めるアイテム、手袋に泣ける。そして美しくも空恐ろしいラストへと続く。ここへ来て急に頭をもたげることになるのは、最初に逃げ去った婚約者の“I have to go”が果たして本当にホアキンの語るような理由によるものなのか、ということである。真実は往々にして異なるものだ。またしても「引き継がざるを得ない者の宿命」というテーマ。これを持ってラストは戦慄のものとなる。


エンドロールの終わりに耳を澄ませる。“The End”を前にこの映画のいくつものサウンドスケープが浮かび上がる。オペラ、さざ波、犬の遠吠え、鉄道の音……この“The End”は、欲を言えばやっぱり劇場で見たい/聴きたいんだわ。



追記1:『アンダーカヴァー』のエヴァ・メンデスに『Two Lovers』のグウィネス・パルトロー。そして両方に出てくるそれぞれ見間違いの(別人の)金髪の女性…。この過激に美しいブロンド美女に対するジェームズ・グレイオブセッションに驚愕した。その他ジェームズ・グレイ作品『リトル・オデッサ』と『裏切り者』はもう記憶がかなり曖昧。幸い、この二つは都内のレンタルショップで借りることが出来る。


追記2:それにしてもジェームズ・グレイは本当によく家族ってものをわかってらっしゃる。つい何日か前まで里帰りしていたので、色々思い出してしまったけれど。この、家族の視線、家族がいるところで電話することや家に女の子がきた時の反応、遠回しな食事の知らせ方など、どこもおんなじなんですねー。ホアキンの部屋の前でうろついたりしゃがみこんだりする母イザベラ・ロッセリーニ。歳を取ってなおさら母イングリッド・バーグマンの面影を感じさせるようになったイザベラ・ロッセリーニの微笑み。素敵だ。

*1:maplecat-eveさんの日記 Two Lovers:http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20100813

*2:暗闇になると窓枠→鏡面となる地下鉄では視線の乱反射が相互窃視的空間を生み出す。いちゃつくカップルに睨まれるホアキン、あそこはマジに痛い…。ストラスブール路面電車とは一味違った、ホアキンとグウィネスの“接触”の機会でした。